winny、そしてEFFの必要性
winnyの作者が逮捕された。これは何を意味するんだろうか?
京都新聞 電子版
今回彼は、幇助で逮捕された。上の京都新聞の記事が幇助について分かりやすい記事を書いている。包丁と拳銃の違いだ。包丁は野菜も切れるけど、人も切れる。拳銃は、人の殺傷に主に使われる。だから、拳銃は持つことを許されない。
Winnyは、合法的なファイルを共有することもできる。でもその専らの使い方は違法なファイル共有だ。だから、Winnyを使うことは許されない。そしてそのツールを開発した人間もまた同罪になる。
、「そろそろ匿名性を実現できるファイル共有ソフトが出てきて現在の著作権に関する概念を変えざるを得なくなるはず。自分でその流れを後押ししてみようってところでしょうか」
仮にこの発言のように、それまでののファイル共有ソフトであったWinMXを代替するファイル共有ソフトを開発してやる。更に匿名性を強めたものを作ってやる、という発言が幇助の具体的な証拠になるとしたらなんとまぁ恐ろしいことかと思う。警察は47氏の発言を全て記録して、本人に詰め寄ったのか?
そして、Winnyが実質的に違法なファイル共有にしか用いられていないことを、どのような数値を用いて証明したんだろう?
自分はこれまでJnutella.orgを立ち上げて、P2Pの可能性について多くの人と語りあってきたし、違法なファイル共有については著作権者の方々との会話を通じて理解を深めてきた。Winnyについては、専らな利用が違法なファイル共有であることは間違い無いとの認識は確かにあった。しかしながら、その可能性、作り手の恐るべき開発能力には本当に驚いたし、47氏が掲示板機能への応用を模索したり、貨幣への応用を模索したときには、すごいことになるかもしれないと期待もした。
自分のスタンスは、今も昔も変わらない。ファイル共有はP2Pの1つのアプリケーションであり、人を惹きつけるファイル共有の多くは違法なものである。違法行為は当然許されるものではない。以上だ。
ただ、なんだかもやもやした怒りに似た感情が腹の中にある。なんなんだ、これは。
ユーザーは、ファイル共有でファイルを検索して、そのファイルをクリックすると魔法のように自分のPCにダウンロードされる。そのファイルは、ユーザーの自由に使うことができる。携帯音楽プレイヤーに転送することもできる。PCには縛られない。じゃあ、この経験をユーザーがすることなく、iTunesは生まれたのか?iTunesの成功にはっぱをかけられて慌ててよいサービスを作り出そうともがいている多くの事業者はどうなんだ?
間違いなく、誰かが何もしなきゃ何も生まれなかっただろう。今ごろ私たちは、1曲500円のシングルをPCだけで聞いてたのか?iPodも生まれない。じゃあ、Appleは今ごろなくなってたのか?
そして、こうしてファイル共有の見えにくい可能性を文章にしてきた私も捕まるのか?じゃあ、winnyの記事を書いたライターはみんな幇助でつかまる。巷に溢れるwinnyとwinmxを取り扱った雑誌の関係者は全て逮捕だ。
16冊もあるよ。雑誌でいえば、ネットランナーは確実に逮捕だな。こういう書籍を扱っていた出版社も、書店もまとめて逮捕ですか?幇助だものね。
/.の発言に本当に同意する。
「理論的には○○な使い方ができる」ということよりも
「現実的には○○な使い方をされている」ということの方が
相当に重視されるってことだね。
新しい技術がこういうところでつぶされるのは残念だし、
権力を持った機関が、新しい技術のつぶし方を覚えてしまうのも残念だ。
日本でのEFFが必要性を痛切に感じます。自分の発言をするのにも、おびえながら、何らかのソフトを開発するのにもおびえながらしなくちゃならないのが本当に良い社会なんですか?
今、この問題を考えなきゃいけないんじゃないですか?著作権についてよりも、恐怖によって自由が制限されちゃうことについて。